毎年1月20日は、七日町1丁目町内会の鎮火祭(ひぶせ)です。 町内の当番が諏方神社に代参、火伏を祈願します。 鎮火祭で「ひぶせ」とは、なかなか読めません。 もちろん、町内会の新年会でもあります。
以前は東山温泉の宿を転々としていたのですが、最近は「お宿東山」に定着。 鮎の炉端焼きです。
毎年1月20日は、七日町1丁目町内会の鎮火祭(ひぶせ)です。 町内の当番が諏方神社に代参、火伏を祈願します。 鎮火祭で「ひぶせ」とは、なかなか読めません。 もちろん、町内会の新年会でもあります。
以前は東山温泉の宿を転々としていたのですが、最近は「お宿東山」に定着。 鮎の炉端焼きです。
29日、30日とお祈りで明け暮れましたが、31日、大晦日です。 シンガラジャからデンパサールの空港へ向かいます。 ガソリンスタンドの脇で見た看板。 チキン・カツとありました。
こんな店が残っていると、ちょっとホットしました。 バリ島はコンビニが一杯。 旅行者には値段も明確で、便利にはなりました。
“Ngingup” 。 家社の Merajan で、やっと最後のお祈りの儀式のようです。 Merajan の先祖霊の前に祭壇が設えてありました。
式を執り行うのは、もちろん一族の長老です。
いよいよベサキ寺院の中心 PENATARAN AGUNG です。 この寺院は「風の神様」ですが、目の前の3色の笠は3つの神様を祀っているとのことです。
ヤシの葉の皿に盛られた花びら。 両手の先に挟み、頭上に挙げてお祈りします。 これを3回、最後に花なしでお祈りします。
正面が日本でいうベサキ寺院(PENATARAN AGUNG)です。 雲の中にAgung山が隠れています。 帰りの飛行機の中で見た日本語新聞「ジャカルタ新聞」には、この朝6時にAgung山が噴火したとありました。 しかし、いたって穏やかです。 さて、真っ直ぐベサキ寺院に行くのかと思いきや、右手の芝生前の寺院に入っていきます。
こちらは、BASUKIAN。 ベサキ寺院の中で一番古いお寺です。 起…
翌12月30日は、ベサキ寺院に向けてSyngarajaを朝5時に出発です。 乗用車3台、マイクロバス1台、そして御供をたくさん積んだ小型トラックと大所帯です。 保養地で観光地のキンタマーニ経由ですので、Pura Ulun Danu Batur (バトウール湖の先端の寺)にも寄ります。 もちろん、バトウル山の麓でもあります。
お参りは、代表で済まされました。 今回、姉とともに、その数か月後に亡…
お祈りは、まだまだ続きます。 午前中の玄関前の広場の御祈祷台、祭壇は片付けられ、家社merajan に御祈祷台が移されています。 御詠歌を捧げるのは、やはり一族の長老です。
神格化された祖霊を祀る社の前で、またお祈りです。
次はPura Desaです。 地区の集会所のお社です。 日本でいう鎮守様でしょうか。 ブラフマ神なので、火のお社です。
地区の宗教活動や村の集会をおこなう鎮守様のせいか、なかなか立派です。 華やかさも感じます。
自宅のMerajanでの儀式が終わると、Pantai bll(ブレレン浜)(Syngarajaはブレレン県にあります)に移っての儀式です。
風を呼び、聖水を撒き、花びらを捧げます。 浜から顔を出している子供たちはご愛敬。
バリ島での姉の葬儀の日程です。 12月29日、30日と行事が続きます。 既にスラバヤで火葬されているので、御霊送りとでも称しましょうか。 姉はバリ島シンガラジャ出身の国費留学生と結婚し、約50年前にインドネシアに移りました。 スカルノ政権からスハルト政権に変わったばかりで、物不足で粉ミルクにも困る時代でした。
朝8時過ぎ、玄関前に設置された祭壇でお祈りが始まります。 お祈りを取り仕切るのは…