やたら暑い夏ですが、会議で東京へ。 時間的余裕もあるので会津鉄道経由です。 七日町駅7時55分、磐梯山をバックに、「AIZUマウントエキスプレス」が入線します。 北千住12時02分、浅草12時15分到着予定です。
田んぼの実りを眺めながら、ビールで一息。 のんびりと車窓を眺めながらビールを呑みたくなるのは、会津鉄道の弱点か、強味か?
殉節之碑を発見!
昭和63年に新潟県護国神社に戊辰役東軍慰霊碑を建立にするにあたり、石材店主に相談したところ、「子供の頃、祖父から新潟大神宮の境内に会津の碑を建てた、と聞いた覚えがある」と、意外な話になりました。
新潟大神宮の宮司も知らないと言います。 境内を調べたところ、それらしき碑を発見するも、一面苔むして字は砂に埋まってしまっていて全く読めません。 石材店に頼み、碑をきれいに洗ってもらいます。
新潟県護国神社には東軍慰霊碑が既にあった!
戊辰役東軍慰霊碑建立の場所は新潟県護国神社の戊辰霊苑が相応しいと考えられましたが、東軍戦死者は賊軍とされています。 招魂社の流れをくむ新潟県護国神社が受け入れてくれるかが問題でした。 因みに、靖国神社(旧招魂社)には、会津藩士の戊辰役戦死者は祭られていません。
神社の禰宜に相談したところ、「東軍の遺骨は既に当神社に眠っている」との意外な回答がありました。 慰霊碑の斜め後ろ、薩摩藩士墓の真後…
新潟県護国神社戊辰の役東軍慰霊碑
戊辰戦争120年の昭和63年11月、新潟県護国神社に戊辰役東軍慰霊碑が建立されました。 その前年の昭和62年5月、会津若松の郷土史家・宮崎十三八氏(元会津若松市商工観光部長)が「百二十年鎮魂せず~越後平野に会津藩士の墓なし」という講演をされました。 「越後平野で戦死した会津藩士の墓、慰霊碑も知らない。未だ鎮魂されていないような気がする」と。 毎日新聞に紹介されると反響大きく、新潟商工会議所…
漆掻き、下草刈り講習会
7月12日、今年も炎天下、「漆掻き、下草刈講習会」が開催されました。 今回から講習会に名称を変更。 先ずは、漆鎌(うるしかま)で足元の下草を刈り払い、足場を固めます。
漆掻きの傷をつけやすくするために、漆鎌で樹の皮を削り、表面を滑らかにします。
東山温泉芸妓屋組合 納涼まつり2018
熱波の続く会津若松ですが、7月30日、恒例の東山温泉芸妓屋組合主催の「納涼まつり」が鶴ヶ城会館で開催されました。 お濠の脇とはいえ、やはり暑い。 生ビールと冷酒がやたら旨い。 豆若、真衣姐さんの踊りの披露です。
月乃、千代乃姐さんの気のあった踊りです。 若い二人もさすがに油がのってきました。
諏方神社の例大祭2018
7月27日は、唯一郭内にあった諏方神社の例大祭です。 例年、会津若松はこの例大祭とともに梅雨明けになるのですが、今年はやたらと暑い日々が続いています。 ただ、今日は台風の接近のせいか、風もありホッと一息つける日となりました。
今まで余り気が付かなかったのですが、こうして眺めると、なかなか立派な手水舎です。 先ずは手水の作法にのっとて清めます。
福島県警新庁舎開所式
7月18日、福島県警の新庁舎落成式が執り行われました。 県庁や市内中心部に分散していた本部の主要部署が、やっと集約されました。 災害時等の危機管理体制がやっと整いました。 それにしても今日は暑い。 外気温37.5℃を記録しています。 テントの陰に座っていても、じわりと汗がにじみでてきます。
免振構造の一部7階建てです。 東日本大震災の教訓を生かして、震災時でも階段を上り下りできるように低層…
五十嵐邸ガーデン ~会津四交会の旅
五十嵐邸は、新潟県内の豪農の館の一つです。 所有主の五十嵐家は、新発田銀行の創始者とか。
現在は、五十嵐邸ガーデンとして内装をリニュアール、結婚式場として運営されています。 この運営会社は、岩室温泉の高志の宿高島屋も経営しているようです。
笹だんごと新潟清酒 ~会津四交会の旅
行形亭で昼食を楽しんだあとは、笹だんごの製造販売田中屋みなと工房を尋ねます。 「見て、作って、味わえる体感形ショップ」だそうです。
2階のセミナールームで「笹だんごセミナー」です。 笹だんごは、新潟県と福島県にしかないんだそうです。