我が家自慢の牡丹が満開です。 牡丹の花は、曇空の下でみるのがいいようです。
台所から眺めた牡丹です。 きれいな牡丹の花を愛でながら料理する奥さんには、夕食の味も期待したいものです。
我が家自慢の牡丹が満開です。 牡丹の花は、曇空の下でみるのがいいようです。
台所から眺めた牡丹です。 きれいな牡丹の花を愛でながら料理する奥さんには、夕食の味も期待したいものです。
㉔ 朱雀隊士 渡辺東郊の攬勝亭十景
新島八重顕彰会がホームページに、攬勝亭十景の「炙背(嶺)秋月」の画を載せて下っています。
https://yaenk.sakura.ne.jp/archives/editorial_notese/2167
この絵は、原画ではなく石版画として摺られ頒布…
4月23日、2020年戊辰殉難者春季祭典が執り行われました。 激戦地だった長命寺の桜が一段ときれいです。
今年は、新型コロナウィルスの感染防止のため、16名の役員のみで執り行いました。
会津の名園「攬勝亭」を守りましょう!
⑳ 氏寺の謎
攬勝亭から50メートル程でしょうか、すぐ近くにあるお寺が柳原寺(りゅうげんじ)です。
長尾氏の氏寺なので長尾寺とも呼ばれていたそうです。現在は高厳寺さんの管理になっています。
柳原寺は新編会津風土記にも載ってい…
会津の名園「攬勝亭」を守りましょう!
⑲ ここにあったぞ!!江戸時代
昨日の投稿を書きながら「茶園地」???どこかで見たような名前だなあ??と思っていましたが・・・
今もあったのです!
緑町の端っこ、湯川の河川敷公園の所だけが「茶園地丁」なんですね。
因みに、緑町分でもなければ、神指町中四合でもなく、
会津の名園「攬勝亭」を守りましょう!
⑱ 明治17年の字限図(あざぎりず)
明治6年の地租改正に伴い作成されのが、村限図、字限図です。当時としてはかなり正確に測量されていて、しかも福島県内のものは紛失が少ないのだそうです。
若松とその周辺は明治17年に作成されたみたいですね。
明治になって間もないですから、江戸時代の地域の実態を伝える貴重な資料です。
会津の名園「攬勝亭」を守りましょう!
⑮ 昭和41年に書かれた「会津の名園攬勝亭」と言う資料があります。
検索すると「会津若松市公民館 神指分館」と出てくるため、神指分館で懸命に探したのですが、その時は出て来ませんでした。
会津図書館にありました。
なんと、神指分館が発行した資料と言う意味でした。お書きにな…
会津の名園「攬勝亭」を守りましょう!
⑭ 不整形な台形
攬勝亭の敷地の形、四角いけれど角が直角ではないし、東西、南北の二辺が平行でもありません。どうも、これが中世の館跡の特徴とよく合致するらしいです。
又、敷地の寸法も中世後期の一般的なものよりやや大きいといったところです。
長尾氏が天…
会津の名園「攬勝亭」を守りましょう!
⑫ では、御薬園は何だったのか?
元禄9年は正容公が松平姓と葵のご紋を賜った記念の年ですが、その年に御薬園が出来たとする説が現在有力。お祝いで作ったのはこっちでは?と疑問が出ると思います。
ところが、松平姓を賜ったのは、元禄9年も暮れの12月のことでした。現在知られているところでは…
会津の名園「攬勝亭」を守りましょう!
⑪ 攬勝亭は会津軍の陣屋だった!
会津図書館所蔵の「(己巳年)明治見聞誌」に詳細な記録があり、近年諸先輩のご努力で解読が進み判った事実です。
「(己巳年)明治見聞誌」とは、戊辰戦争後間もない明治2年に書かれ、当時の長尾家当主の証言を記した貴重な記録です。
1868年8月25日頃は、青龍隊、朱…