会津若松七日町便り

東山芸妓を揚げてクラス会

東山温泉お宿東山で、東山芸妓を揚げての小学校のクラス会です。 芸者さんとの宴会を楽しみに東京からやって来ました。 さらに、折角の宴会なので、大学時代と地元の友人も特別参加です。

源泉かけ流しの温泉のあと、会津清酒と美味しい郷土料理を楽しみながらの宴会です。 ブログには載せられませんが、お座敷遊びも賑やかでした。

新潟大神宮で「殉節之碑」慰霊祭を執り行う

新潟市内の新潟大神宮で殉節之碑慰霊祭が執り行われました。 殉節之碑は明治23年に会津藩の戊辰殉難者を慰霊するために建立されました。 100年間、忘れ去られていましたが、現在は本碑建立の関係者の集まり「祀裔会(しえいかい)」が、毎年10月の第三土曜日に慰霊祭を開催しています。 本年は雨のため、本殿でおこなわれました。

新潟大神宮のご本殿。 かなりの雨降りになってしまいました。

「芸妓の宴」に出席しました

10月15日に、東山温泉芸妓屋協同組合主催の「芸妓の宴」が料亭萬花楼で開催されました。 コロナ明けの大披露宴です。 100名近い客が参加しました。 演奏している曲は「越後獅子」。 三味線の紀千代さん、真衣さんは、三味線初デビューです。

ベテランの紀千代さん、真衣さんによる「俄獅子」。 獅子頭を持っての踊りです。

北海道探訪記 高校クラス会へ向かう

せたな町をあとに、ソーランラインをさらに北上します。 日本海添いの快適な道路ですが、檜山国道から雷電国道とおどろどろしい名前に変わると、奇岩も見られなくなりました。 よってけー島牧やみなとまーれ寿都などと変わった名の道の駅が続きます。 岩内町で昼食です。 パンフレットに天ぷらラーメン が名物料理とあったので、道の駅そばの食堂へ。 ラーメンに海老天がのっているだけの話でした。 そもそも、私はあ…

北海道探訪記 日本公許女医第1号

日本で初めて医師試験に合格した荻野吟子が開業していたのが、せたな町の会津町(現在の本町)。 渡辺淳一が「花埋み」という小説を書いています。 夫の志方之善がキリスト的理想郷建設を目指したのがインマヌエル村。 帰ってからわかったのですが、丹羽村の隣村でした。 キリスト教組合派(同志社)と聖公会派との対立もあり、同村を去り、会津町に移住します。

いろいろ調べると、丹羽五郎との接点もあったように思…

北海道探訪記 せたな町丹羽を歩く

北海道警備を担った会津藩家老丹羽能教の曾孫 丹羽五郎が、会津植民組合の若松より5年早い明治25年に、せたな町の丹羽地区に開拓入植しています。 明治21年に36歳で神田和泉橋署長となるも、その職を辞しての入植です。 丹羽能教は魚沼郡から移住させた新田開発を行い、土津神社の祭田として寄付しています。 明治21年に磐梯山爆発の被害の大きかった猪苗代から、能教ゆかりの人々49名を引き連れての移住です…

北海道探訪記 せたな町若松を歩く

先ず、せたな町役場へ。 会津から来たということで、高橋町長(右から2番目)自ら歓迎していただきました。 町広報誌用の写真とか。

会津は戊辰戦争で壊滅的打撃を受けました。 明治21年には磐梯山の大爆発があり、猪苗代周辺では大きな被害を受けました。 そうした中、明治29年に11代高瀬喜左衛門(私は15代)ら8名で会津植民組合を設立、太櫓 (ふとろ)川中流に500町歩の未開地貸下許可を受けま…

北海道探訪記 新函館北斗駅からせたな町へ

9月26日から29日まで、北海道を旅しました。 今回の目的は、会津から開拓入植したせたな町を訪ねること、定山渓温泉で開かれる高校のクラス会に参加することです。

会津若松を7時35分の列車で出ると新函館北斗駅には12時過ぎに到着です。 北海道も随分と近くなりました。 レンタカーを借りて、国道227号を一路日本海側の江差に向かいます。 信号もほとんどなく、快適な道路です。

2023年戊辰殉難者秋季祭典

2023年戊辰殉難者秋季祭典が9月23日10時から、長命寺で執り行われました。 コロナ禍も落ち着いたので、春季祭典から通常の式典となり、多くの方に参列していただきました。

145名の戦死者が埋葬された戦死墓を囲んでの祭典です。 

2023年会津まつり

コロナ以来縮小されていた会津まつり藩公侯行列。コロナ明け、久しぶりに七日町通り白木屋前を通過しました。 目玉は青少年ホームの奴さんです。

今年は、保科正之が養嗣子となられた高遠保科家のご子孫が初参加です。

Top