戊辰役東軍慰霊碑建立の場所は新潟県護国神社の戊辰霊苑が相応しいと考えられましたが、東軍戦死者は賊軍とされています。 招魂社の流れをくむ新潟県護国神社が受け入れてくれるかが問題でした。 因みに、靖国神社(旧招魂社)には、会津藩士の戊辰役戦死者は祭られていません。
神社の禰宜に相談したところ、「東軍の遺骨は既に当神社に眠っている」との意外な回答がありました。 慰霊碑の斜め後ろ、薩摩藩士墓の真後…
戊辰役東軍慰霊碑建立の場所は新潟県護国神社の戊辰霊苑が相応しいと考えられましたが、東軍戦死者は賊軍とされています。 招魂社の流れをくむ新潟県護国神社が受け入れてくれるかが問題でした。 因みに、靖国神社(旧招魂社)には、会津藩士の戊辰役戦死者は祭られていません。
神社の禰宜に相談したところ、「東軍の遺骨は既に当神社に眠っている」との意外な回答がありました。 慰霊碑の斜め後ろ、薩摩藩士墓の真後…
戊辰戦争120年の昭和63年11月、新潟県護国神社に戊辰役東軍慰霊碑が建立されました。 その前年の昭和62年5月、会津若松の郷土史家・宮崎十三八氏(元会津若松市商工観光部長)が「百二十年鎮魂せず~越後平野に会津藩士の墓なし」という講演をされました。 「越後平野で戦死した会津藩士の墓、慰霊碑も知らない。未だ鎮魂されていないような気がする」と。 毎日新聞に紹介されると反響大きく、新潟商工会議所…
7月12日、今年も炎天下、「漆掻き、下草刈講習会」が開催されました。 今回から講習会に名称を変更。 先ずは、漆鎌(うるしかま)で足元の下草を刈り払い、足場を固めます。
漆掻きの傷をつけやすくするために、漆鎌で樹の皮を削り、表面を滑らかにします。
熱波の続く会津若松ですが、7月30日、恒例の東山温泉芸妓屋組合主催の「納涼まつり」が鶴ヶ城会館で開催されました。 お濠の脇とはいえ、やはり暑い。 生ビールと冷酒がやたら旨い。 豆若、真衣姐さんの踊りの披露です。
月乃、千代乃姐さんの気のあった踊りです。 若い二人もさすがに油がのってきました。
7月27日は、唯一郭内にあった諏方神社の例大祭です。 例年、会津若松はこの例大祭とともに梅雨明けになるのですが、今年はやたらと暑い日々が続いています。 ただ、今日は台風の接近のせいか、風もありホッと一息つける日となりました。
今まで余り気が付かなかったのですが、こうして眺めると、なかなか立派な手水舎です。 先ずは手水の作法にのっとて清めます。
7月18日、福島県警の新庁舎落成式が執り行われました。 県庁や市内中心部に分散していた本部の主要部署が、やっと集約されました。 災害時等の危機管理体制がやっと整いました。 それにしても今日は暑い。 外気温37.5℃を記録しています。 テントの陰に座っていても、じわりと汗がにじみでてきます。
免振構造の一部7階建てです。 東日本大震災の教訓を生かして、震災時でも階段を上り下りできるように低層…
五十嵐邸は、新潟県内の豪農の館の一つです。 所有主の五十嵐家は、新発田銀行の創始者とか。
現在は、五十嵐邸ガーデンとして内装をリニュアール、結婚式場として運営されています。 この運営会社は、岩室温泉の高志の宿高島屋も経営しているようです。
行形亭で昼食を楽しんだあとは、笹だんごの製造販売田中屋みなと工房を尋ねます。 「見て、作って、味わえる体感形ショップ」だそうです。
2階のセミナールームで「笹だんごセミナー」です。 笹だんごは、新潟県と福島県にしかないんだそうです。
新潟県護国神社の東軍墓地をお参りしたあとは、ジェラテリア・ポポロでのジェラートを楽しみます。 私はマスカルポーネとしぼりたて牛乳のダブル、370円です。 新潟と言えば夕日。 「ここのジェラートを食べながら夕日を眺めて海岸を歩くのがお勧めのデートスポットです」とは、引率してくれた若手行員のおはなしです。
昼食は、300年の歴史を持つ行形亭(いきなりや)です。 新潟の料亭と言えば鍋茶屋を思いつき…
第四銀行会津支店(本店 新潟市)の取引先会「会津四交会」の旅は、今年は新潟市を尋ねました。 先ず初めに尋ねたのが、新潟県護国神社にある東軍墓地。 ここは戊辰の役殉難者墓で、東軍西軍が一緒に埋葬されています。 とはいえ、西軍死者が県招魂社から当地に移されたのは昭和20年、この東軍慰霊碑が建立されたのは昭和62年です。
東軍慰霊碑のすぐ脇に「慰霊碑」のみ書かれた碑が建っています。