戊辰の役で逆賊とされ罪人扱いされた会津藩士の霊を弔う「戊辰殉難者秋季祭典」が、9月23日、24日に開催されました。 先ず長命寺の「戦死墓」前で23日の午前10時より慰霊祭が執り行われました。 因みに23日は、戦い敗れて鶴ヶ城を開城した日です。
墓碑として許されたのは「戦死墓」の3字のみでした。
戊辰の役で逆賊とされ罪人扱いされた会津藩士の霊を弔う「戊辰殉難者秋季祭典」が、9月23日、24日に開催されました。 先ず長命寺の「戦死墓」前で23日の午前10時より慰霊祭が執り行われました。 因みに23日は、戦い敗れて鶴ヶ城を開城した日です。
墓碑として許されたのは「戦死墓」の3字のみでした。
双葉警察署では、東日本大震災の津波で3名の警察官が殉職しました。 今般、出来上がった顕彰碑を見にいくことが、浜通りを歩いた大きな目的の一つでした。
碑文には3名の警察官の殉職した時の状況が記載され、人々の記憶にとどめられることでしょう。
70人近い人が津波で亡くなった南相馬市渋佐地区。 長い長い防潮堤が急ピッチ作られていました。
まるで万里の長城のようです。 でもそれほど高い防潮堤でもありません。
大分狭まりましたが、まだまだ帰還困難区域が指定されています。 この日は土曜日のため、自動車の行き来も少なかったようです。 10月には一部の県道も通行可能となりますので、復興の足音も聞こえてきそうです。
時間が止まったままの帰還困難区域です。 警備上の問題もあり、歩行者、自転車、二輪車は通行できません。
浜通りの常磐線の終点は、竜田駅です。 竜田駅~浪江駅は不通です。 思わずのんびりとしてしまう竜田駅の風情です。
竜田駅は撮り鉄、乗り鉄、鉄ちゃんで、結構賑やかです。
東日本大震災から早6年半。 知人を訪問しながら、震災、原発被害を受けた浜通りの復興の様子を覗いてきました。 楢葉町の天神岬。 護岸工事が着々と進んでいます。 遠方に見えるのは、広野火力発電所です。
震災直後の2011年4月、同じ場所からの眺めです。 木戸川を津波が遡上、家々は流され、津波の爪あとが痛々しい。
北八ヶ岳の前日に、妙義山石門めぐりをしました。 台風一過の今日はすいているとの情報で、午後2時とちょっと遅いのですが、歩いてみることにしました。 鎖場が結構あるとのことでしたが、「かにのこてしらべ」で先ずはウオーミングアップです。
これが第1石門。 巨石が大きく口をあけています。 確かに大したものです。
「かにの横這い」。 足下がしっかりとつけられていて、慎重に歩けば特に問題はありません。
久し振りに旧知の仲間が北八ケ岳に集合。 昔引率された高校生、引率した大学生も、今や「大人の休日」の世代になりました。 麦草ヒュッテ付近から、茶臼山(2384m)、奥に縞枯山(2403m)が望めます。 また麦草峠駐車場が満杯のため、白駒池駐車場からの歩きとなり、片道20分の行程増です。
当初の行程と違って、「コケモモの庭」を抜けていきます。 コケモモには、小さな赤い実がついていました。 「オ…
新鮮でリーズブルなお値段の会津JAまんまーじゃで購入したトウモロコシ。 芋虫がおまけでした。
まだまだ元気一杯の芋虫ちゃんです。
「焼酎カップ 卯時」。 酒をこよなく愛した酔吟先生、白楽天の「心期同酔卯時盃」。 「心に期す 同じく卯時の盃に酔わんことを」。 早朝に酒を楽しむ、羨ましい酒飲みの一句を蒔絵にしました。
「焼酎カップ 興在」。 同じく酒中の仙、李白の「興在一盃中」。 「興は一盃の中に在り」。 薀蓄を語りながら呑む酒も一興です。