会津若松七日町便り

1888年の噴火跡を歩く

避難した人が犠牲になり避難できなかった人が助かったという「長坂の悲劇」の慰霊碑。 しかし、現在は、噴火が朝の7時45分であり、この時間には働き手は既に農作業にでていたため火砕流の犠牲となり、一方、年寄り子供はまだ家にいたため無事だったというのが定説です。 年寄り子供を置いてきぼりにして逃げたわけではありません。 一新聞の誤報記事が、130年間、長坂の地に風評被害をもたらしました。

碑の近く…

1888年の噴火跡を歩く

避難した人が犠牲になり避難できなかった人が助かったという「長坂の悲劇」の慰霊碑。 しかし、現在は、噴火が朝の7時45分であり、この時間には働き手は既に農作業にでていたため火砕流の犠牲となり、一方、年寄り子供はまだ家にいたため無事だったというのが通説です。 年寄り子供を置いてきぼりにして逃げたわけではありません。 一新聞の誤報記事が、130年間、長坂の地に風評被害をもたらしました。

碑の近く…

裏磐梯高原ホテルで食事を楽しむ

以前はレストランは1階にあったのですが、二階に移設されました。 木々が大きくなってきて眺望が効かなくなってきたためだそうです。 弥六博士等が一生懸命,植生の復活を試みてきたのに、これはまた皮肉なものです。 裏磐梯高原ホテルでは、和食か洋食を選べます。 私たちは、フランス料理を選択。

「シェフからのご挨拶~7月」 ジャンボン・プランのムース、新玉葱のコンフィとヴィネグレット。 と言われてもチ…

温泉になりました、裏磐梯高原ホテル

裏磐梯高原ホテルのお風呂が温泉になりました。 塩化物泉でかなりしょっぱいです。 浴場も別棟の2階に新設、絶景です。 風呂に浸かりながら、目の前の弥六沼、磐梯山、櫛ケ峰を堪能できます。

磐梯山は陽がさしているのに、弥六沼には大粒の雨です。 曇りの天気予報だったのですが、夕日に輝く磐梯山を眺められました。

裏磐梯高原ホテルに泊まる

昨年、「白木屋の漆器展」でお世話になった裏磐梯高原ホテルに宿泊させていただきました。 少し早い夏休み休暇です。
前に泊まったときは和室だったのですが、改装して洋室に変身していました。 現代は、ベッドの方がありがたい時代です。 床が畳敷きの洋室もあります。

マサキでした!

長年、サカキと思い込んでいた地味な樹。 「それでは何の木?」と書いたら、複数の方からマサキと教えていただきました。 別名「玉椿」。 ネットは文殊の知恵ですねえ。

葉のつきかたはこんな感じ。 消毒をしっかりとやらないと、うどんこ病にかかりやすいのも確かです。

暑い日が続きます、でもお庭の植木は元気です。

会津若松も、とても暑い日が続いています。 でも、庭を覗くと、暑いなか、花も懸命に咲いています。  一昨年買った沈丁花は、今年は次から次へと咲いています。 ただ暑さで、花はすぐに黄色くなってしまいます。
オオバギボウシも盛りです。 ただ、例年よりも花は少し遅れているようです。

暑い日が続きます、でもお庭の植木は元気です。

会津若松も、とても暑い日が続いています。 でも、庭を覗くと、暑いなか、花も懸命に咲いています。  一昨年買ったクチナシは、今年は次から次へと咲いています。 ただ暑さで、花はすぐに黄色くなってしまいます。
オオバギボウシも盛りです。 ただ、例年よりも花は少し遅れているようです。

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