錦秋の安達太良山(1699.6m)。 30年ほど前に家内と登った塩沢スキー場(770m)からの沢筋コースに再挑戦しました。 それにしても、こんなにしんどいコースだったかしら。 1300m付近からは、安達太良山らしい素晴らしい紅葉になりました。左奥には、これから向かう鉄山(1709.3m)が顔を出しています。
塩沢スキー場に車をおき、塹壕のような登山道を登っていきます。 ミズナラ林が気持ちいい。
錦秋の安達太良山(1699.6m)。 30年ほど前に家内と登った塩沢スキー場(770m)からの沢筋コースに再挑戦しました。 それにしても、こんなにしんどいコースだったかしら。 1300m付近からは、安達太良山らしい素晴らしい紅葉になりました。左奥には、これから向かう鉄山(1709.3m)が顔を出しています。
塩沢スキー場に車をおき、塹壕のような登山道を登っていきます。 ミズナラ林が気持ちいい。
10月1日、久しぶりの快晴。 浄土平も紅葉が始まったとの報で、友人と東吾妻山(1974.7m)に向かいました。 木々も大分赤くなってきました。
景場平(1700m)から眺めた東吾妻山。 高層湿原の景場平もすっかり草紅葉です。 ここから頂上までの 1時間がきついので、ここで昼寝でもという誘惑に駆られます。
戊辰の役で逆賊とされ罪人扱いされた会津藩士の霊を弔う「戊辰殉難者秋季祭典」が、9月23日、24日に開催されました。 先ず長命寺の「戦死墓」前で23日の午前10時より慰霊祭が執り行われました。 因みに23日は、戦い敗れて鶴ヶ城を開城した日です。
墓碑として許されたのは「戦死墓」の3字のみでした。
双葉警察署では、東日本大震災の津波で3名の警察官が殉職しました。 今般、出来上がった顕彰碑を見にいくことが、浜通りを歩いた大きな目的の一つでした。
碑文には3名の警察官の殉職した時の状況が記載され、人々の記憶にとどめられることでしょう。
70人近い人が津波で亡くなった南相馬市渋佐地区。 長い長い防潮堤が急ピッチ作られていました。
まるで万里の長城のようです。 でもそれほど高い防潮堤でもありません。
大分狭まりましたが、まだまだ帰還困難区域が指定されています。 この日は土曜日のため、自動車の行き来も少なかったようです。 10月には一部の県道も通行可能となりますので、復興の足音も聞こえてきそうです。
時間が止まったままの帰還困難区域です。 警備上の問題もあり、歩行者、自転車、二輪車は通行できません。
浜通りの常磐線の終点は、竜田駅です。 竜田駅~浪江駅は不通です。 思わずのんびりとしてしまう竜田駅の風情です。
竜田駅は撮り鉄、乗り鉄、鉄ちゃんで、結構賑やかです。
東日本大震災から早6年半。 知人を訪問しながら、震災、原発被害を受けた浜通りの復興の様子を覗いてきました。 楢葉町の天神岬。 護岸工事が着々と進んでいます。 遠方に見えるのは、広野火力発電所です。
震災直後の2011年4月、同じ場所からの眺めです。 木戸川を津波が遡上、家々は流され、津波の爪あとが痛々しい。
北八ヶ岳の前日に、妙義山石門めぐりをしました。 台風一過の今日はすいているとの情報で、午後2時とちょっと遅いのですが、歩いてみることにしました。 鎖場が結構あるとのことでしたが、「かにのこてしらべ」で先ずはウオーミングアップです。
これが第1石門。 巨石が大きく口をあけています。 確かに大したものです。
「かにの横這い」。 足下がしっかりとつけられていて、慎重に歩けば特に問題はありません。
久し振りに旧知の仲間が北八ケ岳に集合。 昔引率された高校生、引率した大学生も、今や「大人の休日」の世代になりました。 麦草ヒュッテ付近から、茶臼山(2384m)、奥に縞枯山(2403m)が望めます。 また麦草峠駐車場が満杯のため、白駒池駐車場からの歩きとなり、片道20分の行程増です。
当初の行程と違って、「コケモモの庭」を抜けていきます。 コケモモには、小さな赤い実がついていました。 「オ…