攬勝亭を守りましょう!
応湖川はどんな川?
攬勝亭の東側には応湖川が流れています。今では狭い川ですが水量は結構豊富です。この川はどこから流れてきているのでしょう?
川の流れは変化しますし、時代によって名称も変わるので、理解に苦しむ部分も多いのですが、ざっくり言うと、南から北へと大川本流と平行するように流れる川筋の一つが応湖川です。湯川の少し南を東から西に流れる「古川」は結構有名ですね。そ…
攬勝亭を守りましょう!
応湖川はどんな川?
攬勝亭の東側には応湖川が流れています。今では狭い川ですが水量は結構豊富です。この川はどこから流れてきているのでしょう?
川の流れは変化しますし、時代によって名称も変わるので、理解に苦しむ部分も多いのですが、ざっくり言うと、南から北へと大川本流と平行するように流れる川筋の一つが応湖川です。湯川の少し南を東から西に流れる「古川」は結構有名ですね。そ…
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幕末に活躍した会津の絵師 大須賀清光が描いた「長尾家屋敷絵図屏風」があり、現在は県博に寄託されています。大須賀清光は城下絵図を何枚も残しており、作風は緻密で歴史的資料としての価値も高いものです。幕末の長尾家を描いた屏風です。大須賀淸光の画で、出来上がったのは、悲しいことにこのお屋敷が戊辰戦争で消失した後でした。それでも、細密な描写で定評のある大須賀淸光が、長尾家の最盛…
攬勝亭をを守りましょう!!
㉖ この碑は何なのか?(その1)
碑は、門の前に立ってますね。
ということは、「ここが攬勝亭ですよ~」と言っているんだろうと推測されます。
ところで、「後楽園」にせよ「六義園」にせよ、その庭園のテーマを名前が一言で示しています。
我が家自慢の牡丹が満開です。 牡丹の花は、曇空の下でみるのがいいようです。
台所から眺めた牡丹です。 きれいな牡丹の花を愛でながら料理する奥さんには、夕食の味も期待したいものです。
㉔ 朱雀隊士 渡辺東郊の攬勝亭十景
新島八重顕彰会がホームページに、攬勝亭十景の「炙背(嶺)秋月」の画を載せて下っています。
https://yaenk.sakura.ne.jp/archives/editorial_notese/2167
この絵は、原画ではなく石版画として摺られ頒布…
4月23日、2020年戊辰殉難者春季祭典が執り行われました。 激戦地だった長命寺の桜が一段ときれいです。
今年は、新型コロナウィルスの感染防止のため、16名の役員のみで執り行いました。
会津の名園「攬勝亭」を守りましょう!
⑳ 氏寺の謎
攬勝亭から50メートル程でしょうか、すぐ近くにあるお寺が柳原寺(りゅうげんじ)です。
長尾氏の氏寺なので長尾寺とも呼ばれていたそうです。現在は高厳寺さんの管理になっています。
柳原寺は新編会津風土記にも載ってい…
会津の名園「攬勝亭」を守りましょう!
⑲ ここにあったぞ!!江戸時代
昨日の投稿を書きながら「茶園地」???どこかで見たような名前だなあ??と思っていましたが・・・
今もあったのです!
緑町の端っこ、湯川の河川敷公園の所だけが「茶園地丁」なんですね。
因みに、緑町分でもなければ、神指町中四合でもなく、
会津の名園「攬勝亭」を守りましょう!
⑱ 明治17年の字限図(あざぎりず)
明治6年の地租改正に伴い作成されのが、村限図、字限図です。当時としてはかなり正確に測量されていて、しかも福島県内のものは紛失が少ないのだそうです。
若松とその周辺は明治17年に作成されたみたいですね。
明治になって間もないですから、江戸時代の地域の実態を伝える貴重な資料です。
会津の名園「攬勝亭」を守りましょう!
⑮ 昭和41年に書かれた「会津の名園攬勝亭」と言う資料があります。
検索すると「会津若松市公民館 神指分館」と出てくるため、神指分館で懸命に探したのですが、その時は出て来ませんでした。
会津図書館にありました。
なんと、神指分館が発行した資料と言う意味でした。お書きにな…