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北海道探訪記 日本公許女医第1号

日本で初めて医師試験に合格した荻野吟子が開業していたのが、せたな町の会津町(現在の本町)。 渡辺淳一が「花埋み」という小説を書いています。 夫の志方之善がキリスト的理想郷建設を目指したのがインマヌエル村。 帰ってからわかったのですが、丹羽村の隣村でした。 キリスト教組合派(同志社)と聖公会派との対立もあり、同村を去り、会津町に移住します。

いろいろ調べると、丹羽五郎との接点もあったように思…

北海道探訪記 せたな町丹羽を歩く

北海道警備を担った会津藩家老丹羽能教の曾孫 丹羽五郎が、会津植民組合の若松より5年早い明治25年に、せたな町の丹羽地区に開拓入植しています。 明治21年に36歳で神田和泉橋署長となるも、その職を辞しての入植です。 丹羽能教は魚沼郡から移住させた新田開発を行い、土津神社の祭田として寄付しています。 明治21年に磐梯山爆発の被害の大きかった猪苗代から、能教ゆかりの人々49名を引き連れての移住です…

北海道探訪記 せたな町若松を歩く

先ず、せたな町役場へ。 会津から来たということで、高橋町長(右から2番目)自ら歓迎していただきました。 町広報誌用の写真とか。

会津は戊辰戦争で壊滅的打撃を受けました。 明治21年には磐梯山の大爆発があり、猪苗代周辺では大きな被害を受けました。 そうした中、明治29年に11代高瀬喜左衛門(私は15代)ら8名で会津植民組合を設立、太櫓 (ふとろ)川中流に500町歩の未開地貸下許可を受けま…

北海道探訪記 新函館北斗駅からせたな町へ

9月26日から29日まで、北海道を旅しました。 今回の目的は、会津から開拓入植したせたな町を訪ねること、定山渓温泉で開かれる高校のクラス会に参加することです。

会津若松を7時35分の列車で出ると新函館北斗駅には12時過ぎに到着です。 北海道も随分と近くなりました。 レンタカーを借りて、国道227号を一路日本海側の江差に向かいます。 信号もほとんどなく、快適な道路です。

2023年戊辰殉難者秋季祭典

2023年戊辰殉難者秋季祭典が9月23日10時から、長命寺で執り行われました。 コロナ禍も落ち着いたので、春季祭典から通常の式典となり、多くの方に参列していただきました。

145名の戦死者が埋葬された戦死墓を囲んでの祭典です。 

2023年会津まつり

コロナ以来縮小されていた会津まつり藩公侯行列。コロナ明け、久しぶりに七日町通り白木屋前を通過しました。 目玉は青少年ホームの奴さんです。

今年は、保科正之が養嗣子となられた高遠保科家のご子孫が初参加です。

母成峠東軍戊辰殉難者慰霊祭

8月21日、猪苗代町の母成峠で東軍戊辰殉難者の慰霊祭が執り行われました。 とても暑い日ではありましたが、標高960mの地でもあり木陰にいる限りはさすがに涼しい所でした。

猪苗代町の二瓶町長による挨拶がありました。 ここでの敗戦は、会津藩にとって大変厳しいものとなりました。

攬勝亭赤石碑移設完了

諏方神社への攬勝亭の赤石碑の移設が7月17日に完了しました。 門脇にあった赤石碑ですが、どうも謂れがありそうなので取りあえず保存し、諏方神社に移設させていただきました。 この赤石碑を保存したところ、鶴ヶ城内、楽寿亭(御薬園)にも赤石があることが判りました。 関連がありそうですが、取りあえず保存したことで、後世の研究に託したいと思います。

案内碑には、説明にリンクしたQRコードを添付しました…

駒止湿原は花だらけ

昨年の秋に駒止湿原を訪れましたら、保護ボランティアの方から季節には毎週のように花が変わると教えてもらいました。 それでは今年は通いつめようと決めたのですが、休業日の水曜日にやたら用事が入ったり、天候不順でやっと今日初探訪です。実は今朝の福島民報新聞に、ニッコウキスゲが満開と紹介されていました。 混むかなと思ったのですが、幸いに出会ったのは3組程度でした。 ニッコウキスゲの花の命は一日だけだそ…

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