北海道警備を担った会津藩家老丹羽能教の曾孫 丹羽五郎が、会津植民組合の若松より5年早い明治25年に、せたな町の丹羽地区に開拓入植しています。 明治21年に36歳で神田和泉橋署長となるも、その職を辞しての入植です。 丹羽能教は魚沼郡から移住させた新田開発を行い、土津神社の祭田として寄付しています。 明治21年に磐梯山爆発の被害の大きかった猪苗代から、能教ゆかりの人々49名を引き連れての移住です...
北海道警備を担った会津藩家老丹羽能教の曾孫 丹羽五郎が、会津植民組合の若松より5年早い明治25年に、せたな町の丹羽地区に開拓入植しています。 明治21年に36歳で神田和泉橋署長となるも、その職を辞しての入植です。 丹羽能教は魚沼郡から移住させた新田開発を行い、土津神社の祭田として寄付しています。 明治21年に磐梯山爆発の被害の大きかった猪苗代から、能教ゆかりの人々49名を引き連れての移住です...