1888年の噴火跡を歩く

避難した人が犠牲になり避難できなかった人が助かったという「長坂の悲劇」の慰霊碑。  しかし、現在は、噴火が朝の7時45分であり、この時間には働き手は既に農作業にでていたため火砕流の犠牲となり、一方、年寄り子供はまだ家にいたため無事だったというのが定説です。  年寄り子供を置いてきぼりにして逃げたわけではありません。  一新聞の誤報記事が、130年間、長坂の地に風評被害をもたらしました。

碑の近く...

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